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Helsingin Sanomat  2013 11 月17日(日)

フィンランド在住の私たちの日本人Aki Suzuki が カレワラのアイノに挑んだ。多くの点で驚きがあり、それが成功していると、まずいわなければならない。フィンランド人になじみの深いこの物語の新しい側面 は、外国人の視点で演じてもらう必要があるようだ。アイノがとても普遍的なサーガ、つまり「日常でも起こりうる話」として表されている。Suzukiの手にかかり、多少のスパイスとと予想外の展開により。

一番素晴らしいのは、だれもSuzukiを阻止することはできないということだ。ナイーブすぎるという危険を冒しながらも、彼女は自分自身に正直であり、クレージーにさえも思えるアイデアを排除することはしない。

最初の出だしからすごい。ヴァイナモイネンがゆっくりとした能の足取りで登場する。しかし、舞台は突然ブロードウェイ・ミュージカルそのものに変わってしまい、出演者の紹介がアクションいっぱいで行われる。まさにワオ・エフェクトである。

物語の枠組みは純粋な能のドラマである。アイノの幽霊が旅の僧の前に現れ、夢でアイノの悲劇を知ることになる。身体的な表現においてSuzukiは能のみに制限されていない。足使いは純粋な(能の)手法である。床を滑らすように足を運び、最後につま先をあげる。

アイノの霊を演じるAki Suzukiはブトーの過去経験を利用する。ヴァイナモイネンの小さな能の舞では、歌舞伎の目をぐるぐるさせる「見得」を切る。そしてまたフリー(スタイル)ダンスとも解釈できる踊りも登場する。

音楽では能の「唸り」が聞かれた。カンテレの「Konevitsan kirkonkellot」、そして純粋なキッチュも使われている。カレリア地方の子守歌「Lujuuli Lujuuli」は日本人のYuko Takedaが歌うとまるで演歌のような響きであった。しかしセリフや歌詞は、カレワラ叙事詩の四韻律ではない。

とにかくアイノは新鮮な物語となっていた。半ばでHanna Häyhä演じる主役アイノ

は、姿の見えない、生きるようおしとどめようとする声と死に誘う声に葛藤し、翻弄

される。「生きるべきか、死ぬべきか」と悩む女ハムレットさながらに。

Suzukiは明らかに物語に、「浄化」というインパクトを持たせたかったように思われる。アイノは「あの世(Tuonela)」に行くのではなく、まず魚になり、そして現代に生まれ変わる。私には最後に「許し」という言葉が浮かんだ。カレワラ・オリジンに加えるものとして、決して悪くはないだろう。 Jussi Tossavainen.